岩木山をめぐるりんご栽培の展開

5.巨大な防風垣としての岩木山

図7に表した、岩木山北側の実線に沿った越水、三ツ館、下相野、上相野、尾原、野木、山道、五林平、羽野木沢、野里、金山、飯詰、嘉瀬そして金木に囲まれた地帯のりんご樹には、年により、写真2のように枝梢先端部と頂芽が枯れ込む「先枯れ」が発生し、りんご生産に悪影響をあたえています(引用文献/山谷秀明(1995):「青森りんごの現状と土地利用-津軽中央地域を中心に」『平成6年度 津軽中央地域広域農業基本調査報告書』 東北農政局津軽土地改良調査管理事務所 p101-130)。


図7/りんご枝梢の先枯れ発生地帯

図8に、先枯れが発生する金木と発生しない黒石の最低気温を、比較して示しました。


図8/昭和51年12月から52年3月までの旬別最低気温の変化
(金木:弘前大学農学部金木農場 黒石:青森県りんご試験場)

12月と1月の最低気温は、金木が黒石より高いので、りんご枝梢の先枯れは、気温低下にともなう凍傷とは考えにくく、発生原因を別に求めなければなりません。

図9と図10に、先枯れが発生する鶴田と発生しない黒石の風向、風速を示しました。


図9/鶴田と黒石の風向分布(1974年12月~1975年3月)


図10/鶴田と黒石の風速分布(1974年12月~1975年3月)

鶴田は黒石に比べて、北西よりの風が吹く頻度が高く、しかも強い風が吹いています。このことと、先枯れが常襲する金木において、1、防風林に囲まれている園では発生しないこと、また同じりんご園の中でも、2、風下に位置するりんご樹の被害が少ないことなどを考え合わせると、「先枯れは寒風による風害である」(引用文献/鎌倉二郎・山谷秀明・一木茂(1980):「Ⅱ樹体栄養とり病性に関する試験」『リンゴ腐らん病の総合防除法に関する研究』 青森県りんご試験場編 p136-159)といえます。

成熟が遅れている枝梢先端部と頂芽は、12月と1月の寒風にさらされると凍結し、揺さぶられます。そうすると導管等に物理的にキズがつき、早春、根からの水分吸収が妨げられて乾燥していき、やがて枯死して先枯れ症状を呈すると考えられるのです。

「岩木山は、津軽地方内陸地帯のりんご樹を、北西方向から吹く、日本海からの強く冷たい風から守っている」のです。

ところで、岩木山麓の東麓地域でりんごが多く栽培されていますが、南麓地域では小森山地区周辺だけで、西麓地域と南麓の大部分の地域ではほとんど栽培されていません。1967(昭和42)年、瑞穂開拓地でりんご園1.7ヘクタールを増反(ぞうたん)する計画がありました。それで、この地の気象を図11・表7(引用文献/今井六哉・横山弘(1962):「岩木山南麓開拓地の土地利用」『東北地理14-4』東北地理学会編 p109-115)、そして表8(引用文献/青森県りんご試験場栽培部(1990):「県内リンゴ園の積雪調査」『平成元年度業務年報』青森県りんご試験場 p106-110)にまとめてみました。


図11/常盤野と黒石の平均気温の推移(1958)
注)平均気温は(最高気温+最低気温)/2
観測場所 常盤野:常盤野小学校 黒石:青森県りんご試験場


表7/常盤野と黒石の月別最多風向(1958)


表8/岩木山麓地帯各地の最高積雪深(1980~1989年)

この地域の気温は、黒石と比べて低いのですが、極端に低いということではありません。特に1~2月はほとんど差がありません。気温の面だけからすれば、「この地域でのりんご栽培は可能である」といわねばなりません。しかしこの地域は、11~12月および1~6月の冬~春期にかけて、北西方向から強い風が吹くことが多く、先枯れ発生からは免れないと思われます。

積雪深は、現在りんごが栽培されている岩木山東麓の弥生、百沢近くの南麓は小森山、および白沢では160~190センチメートルで、多いときでも220~245センチメートルです。瑞穂開拓地に近い嶽温泉付近では、平均295センチメートルであり、この地で現在行われているような樹形・仕立て法でりんごを栽培することは、難しいのは明らかです。しかし樹高を5メートルとし、樹冠高2メートルを確保する樹形・仕立て法をとれば、りんご栽培はできると考えます。

宮下(引用文献/宮下利三(1956):『岩木山麓の採草地について』 弘前市政調査会)は、「旧嶽山採草地(岩木村裾野平所在)には一部とくに標高の高い場所もあるが、その他の場所は必ずしも附近のリンゴ作付地と気候条件、土壌条件を異にするものではない。・・・・したがってここにおける草地の割替制(わりかえせい)はリンゴ生産を阻止する大きなブレーキであったと言えるであろう」と述べています。

岩木山麓には十腰内、十面沢、大森・貝沢、葛原そして裾野平の広大な5つの採草地がありました。東麓の北部に位置する十腰内、十面沢および大森・貝沢採草地では、採草地とじつづ地続きの集落(山元(やまもと))と、これら採草地にいりあい入会してくる遠近の集落(山下(やました))が採草する場所を、旧来から割当てており、草刈りする区域は集落ごとにあらかじめ決められていました。しかし南麓の裾野平採草地では、採草する場所を毎年、抽選で決めていて、それぞれの集落が草刈りする区域を、年ごとに替える割替制で行っており、草刈りする場所の割り当て制度に違いがありました。そして、これら採草地は大規模開発が行われると、家畜の草地改良するというだけでなく、畑地やりんご園に転換していくという方向に進んでいきましたが、このような方向をとり得るには、「村々入会(いりあい)における山元集落が強大な支配力をもつという前提条件」が必要でした。宮下は、「地元集落に特別な草地支配力のない割替制を続けてきた裾野平では、草地を畑地やりんご園に転換し得なかった」と考察したのです。

この地域には年中、日本海から風が吹き込んでおり、しかもその風は津軽地方平野部地帯のりんご樹に、先枯れを発生させるなど、りんご栽培地帯を限定している要因(引用文献/山谷秀明(2004):「第1章北海道・東北の地域特産物 第2節青森県、リンゴ」『地域特産物の生理・機能活用便覧』津志田藤二郎編 サイエンスフォラム p38-42)にもなっていることから、岩木山が、日本海の北西方向から吹く、強く冷たい風を背(南麓と西麓)に受けているという気候条件も、りんご栽培を阻止してきた理由の一つと考えないわけにはいかないと思います。

岩木山をめぐるりんご栽培の展開