岩木山をめぐるりんご栽培の展開

2.津軽りんご開闢(かいびゃく)の立役者-岩木山のズミ

さて、金納となった地租の重圧で、小・中土地所有者たちは土地を手放し始め、そして、それら土地を集めて、新興地主が各地に発生していった、ちょうどその頃、士族の一人であった菊池楯衛は書いています。

「和林檎、海棠(かいどう)の砧木(だいぎ)は宜しと雖(いえど)も、僅々(きんきん)一萬本の砧木すら容易に得難きを以て、當地方はサナシを用ゆ。毎春サナシを十五萬本づつ用ゆるを以て、昨今年は、地方の山野に盡(つ)きたるにより、南部及秋田の山中より掘り取るが如き勢なり」(引用文献/菊池楯衛(1896):「苹果栽培法 接木法」『果物雑誌 17』 p12-13))。サナシとは津軽の山野に自生しているズミ(写真1)のことで、現在ミツバカイドウと呼ばれていますが、近隣の山々に生えていた多くのサナシを、りんご繁殖用台木として使用していたため、掘り尽くしたというのです。


写真1(2013年5月25日撮影)


写真1(2013年7月18日撮影)

弘前付近でサナシの採集できる場所は、主として岩木山麓で、かつて岩木村は鳥井野の人々が、集団で採集にあたっていた(引用文献/宮下利三(1961):「第一章 リンゴ苗木の生産と流通」『リンゴ産業の構造分析Ⅰ-弘前市を中心としてみたる-』宮下利三著 弘前市 p7-60))、といわれています。岩木山麓のサナシを十月ごろ掘り起こし、掘り取りしたサナシをいったん仮植えし、冬を越した翌春、畑地に移植していました。一本のサナシから一本の台木しかとれず、それも掘り取り、運搬、仮植え、移植という過程を経て、はじめて一本の台木として使用することができたのです。

図1)に、青森県で使用されてきた台木の種類を、年代ごとにまとめ、図2)には、明治期の中津軽郡で、りんごが栽植されていった様子を、村ごとに示しています。


図1/青森県における使用台木の変遷


図2/明治期における中津軽郡各村のりんご栽植状況

明治・大正期には、西洋りんごの台木として、ミツバカイドウが主に使用されました。 また明治期には、清水村、堀越村、千年村、高杉村で早くから多くのりんごが植えられており、ついで藤代村、新和村が、やや遅れて駒越村、裾野村と続いています。それから遅れて相馬村、東目屋村で、さらに遅れて明治末になってから、船沢村と岩木村に植えられています。

1894~1912(明治27~45)年の19年間に、中津軽郡だけでも30万本の苗木が植えられており、その7割はミツバカイドウを使用した地苗であった、と推定されます。

明治期のりんご開園に、岩木山麓のズミは、重要な役割を果たしたのです。

岩木山をめぐるりんご栽培の展開