津軽地方りんご園の開園状況(引用文献/東北農政局津軽土地改良調査管理事務所(1984~1987):『りんご園開園年代区分図』)を、地帯ごとに整理したのが表1です。

表1/年代別開園面積と割合
表の中の「栽培地帯」は、岩木山麓、平野部、八甲田山系の三つに分けて記載されていますが、これら地帯に該当する市町村は、以下のとおりです。
岩木山麓:弘前市、岩木町、相馬村、西目屋村、鰺ヶ沢町、森田村、鶴田町(岩木川左岸地域)
平野部:田舎館村、藤崎町、常盤村、板柳町、柏村、鶴田町(岩木川右岸地域)、五所川原市、金木町(注:常盤村と金木町については資料を入手できなかった)
八甲田山系:浪岡町、黒石市、平賀町、大鰐町、碇ヶ関村
明治期に開園されたりんご園は、津軽地域全体で5,400余ヘクタールで、りんごが導入されて以降35年間に、現在の4分の1に相当する面積が開園されています。また、この時期には、八甲田山系地帯が、他地帯に比べて開園面積が多くなっており、開園割合も、この地帯全体の3割を超える高さとなっています。これは、八甲田山系地帯の市町村では、岩木山麓・平野部地帯の市町村に先駆けて、村落共有地が開放され(引用文献/斎藤康司(1968):「津軽地方のりんご産地形成:そのアウトラインと問題点」『弘前大学國史研究50』 p61-72)、これら共有地にりんごが植えられていったためです。
図3(引用文献/東北農政局津軽土地改良調査管理事務所(1984~1987):『りんご園開園年代区分図』)には、岩木山麓地帯のりんご園を、開園年代別に色分けし、図4(引用文献/角野三好・月舘光三・桜田隆夫(1991):『津軽地方りんご園の地形分類図集』弘前大学農学部農業構造学研究室)には、同地帯のりんご園を傾斜度別に色分けしました。また、表2(引用文献/角野三好・月舘光三(1990):「津軽地方傾斜地りんご園の地形特性」『弘大農報 53』p78-91)には、弘前市、岩木町および相馬村のりんご園を傾斜度ごとにまとめました。

図3

図4

表2/岩木山麓地帯りんご園の傾斜度(1990)
明治期に、岩木山麓地帯では下湯口、小沢、常盤坂を囲む地域と独狐、高杉、小友、三和、笹館まで直線的につながる地域、そして岩木川自然堤防など傾斜度の低いところに開園されていったことがわかります。
大正~昭和10年頃以降には、大助、坂市、奥新法師、宮地、葛原、新岡、賀田、富栄、折笠、宮館、中別所、鬼沢、貝沢そして十腰内とつづく地域で開園されましたが、これら地域では、集落近くの傾斜度が高い土地に栽植されています。おそらく、傾斜が急で、水田には適さない土地や畑にりんごが植えられていったのでしょう。図3と図4とを照らし合わせてみると、これら地域のりんご園の多くは、勾配が10度以上の傾斜地にあたります。このことから、大正~昭和10年頃岩木山麓地帯では、1,000ヘクタール程度の傾斜地にりんごが栽植されていった、と推定することができます。
図5(引用文献/石岡国雄(1989):『下湯口集落史 下』 弘前市下湯口町会 p306-312)は、下湯口で生まれ、長くりんごに携わってこられた石岡国雄が、下湯口地域のりんご園がどのように開園されていったか、記録と記憶をもとに描いたものです。

図5/下湯口地域における増加要因別りんご栽培面積の推移(石岡国雄による)
下湯口地域では明治期に、畑中心にりんごを栽植していきました。富商・大地主たちが「りんごに投資する」という形で開園し、経営していった中、近隣の小・中農者たちは、現金収入を求め、自分の畑地にりんごを植えていったのです。大正期に入り、付近の村落共有地が開発されていきますが、本格的な開拓開園は、開発パイロット事業がはじまった1963(昭和38)年以降です。悪戸後沢、湯口一ノ下リなどの開拓開園と水田転作により、1966(昭和41)年以降、地域のりんご園は急増し、地域外にもりんご園を求めています。

